少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。
殊に母親の溺愛は近所の物笑いの種になるほどだった。
その母親が姿を消した。
庭に造られた粗末な離れ、そこに籠もったのである。
結核を病んだのだった。
近寄るなと周りは注意したが、
母恋しさに少年は
離れに近寄らずにはいられなかった。
しかし、母親は一変していた。
少年を見ると、ありったけの罵声を浴びせた。
コップ、お盆、手鏡と手当たり次第に投げつける。
青ざめた顔。長く乱れた髪。荒れ狂う姿は鬼だった。
少年は次第に母を憎悪するようになった。
悲しみに彩られた憎悪だった。
少年六歳の誕生日に母は逝った。
* *
「お母さんにお花を」と勧める家政婦のオバサンに、
少年は全身で逆らい、
決して棺の中を見ようとはしなかった。
父は再婚した。少年は新しい母に愛されようとした。
だが、だめだった。
父と義母の間に子どもが生まれ、少年はのけ者になる。
少年が九歳になって程なく、父が亡くなった。
やはり結核だった。
その頃から少年の家出が始まる。
公園やお寺が寝場所だった。
公衆電話のボックスで体を二つ折りにして寝たこともある。
そのたびに警察に保護された。
何度目かの家出の時、
義母は父が残したものを処分し、家をたたんで蒸発した。
* *
それからの少年は施設を転々とするようになる。
十三歳の時だった。
少年は知多半島の少年院にいた。
もういっぱしの「札付き」だった。
ある日、少年に奇跡の面会者が現れた。
泣いて少年に棺の中の母を見せようとした
あの家政婦のオバサンだった。
オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。
死の床で母はオバサンに言ったのだ。
「私は間もなく死にます。あの子は母親を失うのです。
幼い子が母と別れて悲しむのは、
優しく愛された記憶があるからです。
憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。
あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、
死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです。
そのほうがあの子は幸せになるのです」
少年は話を聞いて呆然とした。
自分はこんなに愛されていたのか。
涙がとめどなくこぼれ落ちた。
札付きが立ち直ったのはそれからである。
●作家・西村滋さんの少年期の話である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●【叱ってくれる人】
我々の生活が自堕落になった時、
心から馬鹿と叱(しか)って呉(く)れる畏敬する人を
持つ者は幸だ。
『安岡正篤 一日一言』より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●「火のついたロウソクのように、
人の残された命は刻一刻と短くなる。
限られた時間の中で生きる意味を突き詰めれば、
寸暇を惜しんで自己研鑽することではないか」
――井上英明 パーク・コーポレーション社長
自分の会社も「自己研鑽の場」であり、「自分や社員が成長できない会社なら、潰
してしまったって構わない」とまで言う。
~『心に書きとめておきたい 名経営者の至言』より~
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●人生一度きり どう生きるかだけ (石屋の寝言)
梅雨のうっとうしい時期に 少しは元気なれたでしょうか?
[0回]
PR