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長崎県諌早の小さな石屋の寝言です。 イビキは聞こえません。

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●子は父より注目されることを欲し、
 父の賛成を得ようとする。

 父が子に満足を感じている限りにおいて、
 子自身は自己に満足できるのである。

 これが父に対する子の自然的愛であって、
 その愛は子の感性的福祉の保護者
 に対してではなく、
 彼自らの価値又は無価値を
 反映する鏡に対するものである──。

 この厳格な事実を世の父母の多くが
 いかに気づかずにきたことでしょうか。

                                         『安岡正篤活学一日一言』より

●父親というものは子供に対して
 あまり口やかましく言わぬほうがよい。

 それは母親の役目であって、
 それよりもまず父親は子供の敬の対象、
 理想像になってやらなければならない。

 理想像として子供のイメージを壊さぬような、
 また子供が自らにして敬の心を抱くような、
 そういう態度、言葉、振る舞いがより大事であり、
 必要なのであります。

                                            『安岡正篤活学一日一言』より

 
●人間像、理想像とかいうものは
 血が通っておらなければならない。

 血が通っているということは、
 自分の生命をぶち込んでいるということです。

 その意味において我われの
 理想像とか人間像とかいうものは、
 必ず誰かに感激し、私淑(ししゅく)する
 ということにならなければだめだ。

 書物の上ではだめである。

 子供を本当に教育しようと思ったら、
 子供に理想像を持たさなければならない。

                                               『安岡正篤活学一日一言』より

 
●せっかく苦労をして、
 妻の座あるいは夫の座が安定し、
  人間もできてきたという年齢が、

  あるいは成功であるのか、
 失敗であるのか分かれる年齢が、

  女子は四十過ぎ、
 男子は五十過ぎであります。

  男子はその頃から大体
 自信もでき、度胸もでき、
  経験が積まれるようになって、

 立派になる人間と、
  俗物になる人間とに分かれてくる。

  これは男女とも同様でありますが、
  男子のほうが女子より少し遅れます。

                                               『安岡正篤活学一日一言』より 

●人と人との出会い、
 人と仕事の出会い、
  人と書との出会い、
 いろいろの出会いがある。

  今日ただいまを逃して、
 そのうちに機会があれば……

  などと思っていると、
  この山水の好風景を二度と
 踏破することはむずかしい。

                                              『安岡正篤活学一日一言』より

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プロフィール
HN:
石の地蔵さん
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/04/08
職業:
世間を見ること
趣味:
ソフトボール・ゴルフ・飲食
自己紹介:
飯盛生まれ。
飯盛西小・飯中・卒業
諌早農高 農業土木科卒
国土建設学院(東京)卒
扇 精光勤務(長崎大水害の頃) 
石屋となる。

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