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長崎県諌早の小さな石屋の寝言です。 イビキは聞こえません。

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昨日、4月8日は 私の誕生日であった。
とうとう 大台になってしまった。

数十年ぶりに誕生ケーキもいただき、
フェイスブックやメールでお祝の言葉もたくさんいただいた。
ありがとうございます。

DSC_1301.jpg










ある友人からは、前日の23時35分頃
「40代最後の 30分 何してますか」とメールがあって

30分後の 8日 0時05 分
「誕生日おめでとう」 って またメールが来た。

こんな洒落たことをやる男だったとは 知らんかった。

とうとう50歳になってしまったが 振り返るといろいろあった。

小さい頃 親父の三輪車ダンプ(マツダ製)の助手席に乗り
地下足袋履いた親父が間知石を手で積む様子を見ていた。

中学校の頃から、4tダンプに乗り 重機にも乗り
夏休みは、砕石の積込の手伝い。あの頃KLD65Zだった。
忙しいからと学校の授業中でも呼び出され仕事もしたことがある。
仕事が終わったビール・梅酒は最高だった。

高校卒業時、公務員試験の1次試験に合格したが
親父の言葉で2次試験はボイコットした。

長崎市内の測量設計会社に就職した年、長崎大水害に遭遇。
市内から飯盛へ車で帰ろうとしたが、先輩達から送ってくれと頼まれ
数人を市内に送っていたため 命が助かった。
送ってなかったら 国道34号線の大崩落に巻き込まれていた。

後継者として 家業に入り ダンプに乗り、重機に乗り
溶接もやり、プラント修理もやり、営業もやり、仕事ばかりであったが
その頃 唯一の趣味は ファーストピッチソフトボールであった。

ソフト馬鹿な仲間とバカみたいに練習し、バカみたいに飲んだ。
クラブチームとして県大会優勝を目指していた あの頃。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今まで 良い人たちと たくさん出会い たくさんの方にお世話になった。
これからも、お世話になります。

人生の半分はとっくに過ぎてるが、残りをどう生きるか?

楽しく 前向きに 同級生より若く まだまだ チャレンジ!!


今後も 宜しくお願いいたします。

 



 

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石屋 カウンター
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presented by 地球の名言
プロフィール
HN:
石の地蔵さん
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/04/08
職業:
世間を見ること
趣味:
ソフトボール・ゴルフ・飲食
自己紹介:
飯盛生まれ。
飯盛西小・飯中・卒業
諌早農高 農業土木科卒
国土建設学院(東京)卒
扇 精光勤務(長崎大水害の頃) 
石屋となる。

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