長崎県諌早の小さな石屋の寝言です。 イビキは聞こえません。
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弊社、リサイクル商品 再生砂 のご紹介 ●【一遍一念】 昨夜の事務局会議でタイムスケジュールが確定いたしました。 ●【仏のこころ】 ● 濱田建設工業(株)の社長に 14日、お盆の宴会準備。 今日は、長崎に原爆が投下された日です。 “想定外の奇襲”とされてきた広島・長崎への原爆投下。実は、日本軍は米軍の動きをつかんでいたことが明らかになってきた。それなのに、なぜ多くの市民の命を守ることができなかったのか。当時の資料や当事者の証言などから、国民の生命の安全よりも、国の担当者の事情やメンツを優先させた驚くべき実態が浮かび上がってきた。被爆から66年。初めて明らかになる原爆投下の真実に迫る。
--------------------------------- 私は、この番組を見て愕然としました。 アメリカが原爆を作っていることを察知していながら、広島に向かって不振な飛行機(B29)が近づいていることもわかっていながら広島に空襲警報が出ていなかった。外で朝礼をしていた人たちは全員死亡。たまたま部屋の中にいた人は助かった。 九州では、5時間前に広島と同じB29が近づいていることがわかっていた。 小倉上空が天候が悪かったため、次の標的である長崎へ変更、佐賀をとおり 諌早上空をとおり長崎上空へ。 大村空港では、そのB29を撃墜できる戦闘隊も待機していながら 出動命令が出なかった。 原爆投下は防げたのかも知れないのに なぜなのか? 今となっては取り返しがつかないが 二度とこんな事態を招いてはいけない。 今、福島原発が大変である。 同じ過ちを繰り返さないことを願っております。 --------------------------------- 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 ---------------------------------- 第13回 いいもりよかとこまつりが 7月24日(日) 早朝ゴルフに出かけた。 |
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石屋 カウンター
カテゴリー
プロフィール
HN:
石の地蔵さん
年齢:
63
HP:
性別:
男性
誕生日:
1962/04/08
職業:
世間を見ること
趣味:
ソフトボール・ゴルフ・飲食
自己紹介:
飯盛生まれ。
飯盛西小・飯中・卒業 諌早農高 農業土木科卒 国土建設学院(東京)卒 扇 精光勤務(長崎大水害の頃) 石屋となる。 |