●頭は難問題と取り組めば 取り組むほど良くなる。
肉体も同じことで、楽をさせ、 やさしいことばかりに
使っておるとだめになる。
だから、いくら使ってもよろしい。
正しく使えば使うほどよろしい。
またむずかしい問題と 取り組むほどよろしい。
『安岡正篤活学一日一言』より
●人間は、妻子を持ち、 友を知り、多くの人と交わり、
ある程度の年齢に達して、ようやく本当の意味での
学問・求道ということがわかり始めます。
『安岡正篤活学一日一言』より
●人間というものは
自分の立っておるその場に即して、
そこから考え、
そこから実践しなければ、
結局それは所謂足が地を離れて抽象的になり、
空論になってしまう。
処【ところ】が自分の立場、
自分の存在に自信のないもの程、
その立場から遊離し易く空想し易い。
本当に思索し、
本当に行動しようと思えば、
依って立つ足下に注意しなければならぬ。
自分の依って立つ場に基づいて、
その上で行ってゆかなければならない。
『安岡正篤活学一日一言』より
●権力や名誉等に執着したり 動かされたりすることなく、
しかもそれを否定せずに 悠然として自然にまかせてゆく。
已むを得なければ 大臣にも宰相にもなるが、
時来たれば悠然として去る。
そして去るにも留まるにも
少しも煩悩や欲望の跡がない。
こういう事を出処進退と
申すのであります。
『安岡正篤活学一日一言』より
●この人(徳川吉宗)の教訓の一例に、
人間は困った時にうつむく奴は
役に立たんと言っておられます。
さすが見識であります。
困った時に天を仰いで長大息するような人間でなければ
駄目だというのです。
これくらいの気性がなければ確かに駄目だ。
『安岡正篤活学一日一言』より
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